不登校の定義


不登校には明確な定義づけがすでになされています。といっても、これはあくまでも文部科学省が独自に定めた定義ですので、多少違った見解の学者さんももしかしたらいらっしゃるかもしれませんが、しかし公的な定義付けですので、ここでは文科省の定めた不登校の定義を基準にして考えていきたいと思います。

その定義ですが、文部科学省の発表によると、「何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因・背景により、登校しない、あるいはしたくともできない状況にあるため年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」というのが、生徒や児童の不登校ということになると定義づけられています。

おそらくこれは、私たちがイメージしている不登校とほぼ同じになると思われます。ですから、文科省が発表している不登校の定義付けについてはそれほど違和感なくイメージすることができると思います。

ただ、ひとつ気になるのが、後半部分の「病気や経済的理由による者を除いたもの」というところです。この「病気以外の者」というふうに不登校が定義づけされているということは、そもそも

不登校自体が「病気」ではない

と、少なくとも文科省では判断したということになるわけです。

ということは、不登校を理由として卒業や進級他、学力認定に関する何らかの公的な申請事項は、場合によってすべて却下されてしまうことにもなりかねないということでしょう。もちろん、いかなる事情も酌量されないというわけではないでしょうし、そのあたりの裁量は各市町村によっても異なってくるはずですから、公的な申請事項がある場合は、これについてまずは学校の先生としっかりと相談すべきであることはどうやら間違いなさそうです。

ただ、ちょっと耳にした話によれば、不登校でも診断書を書いてくれる病院があるということでしたので、必要であれば、病院とも相談すべきことなのかもしれません。そしてそれが申請にあたって何らかの効力を発揮する可能性も当然考えられます。

何しろ、いろいろな面で課題が山積しているのがこの「不登校」という大きな問題ですから、当事者やそのご家庭だけでなく、学校の先生や、場合によっては市区町村も含めてみなで最良の選択ができるようになることが望ましいと言えるでしょう。そしてできれば、文科省でもそういったところまでちょっとした文言を加えてもらいたいという気がしないでもありません。

定義であって結論ではない


文部科学省は年間30日以上という日にちを定義としていますが疑問に思う事も少なくありません。30日連続で休むのと、年間を通じて30日休むのとは意味が違うように思えます。また、

29日が不登校でなく30日が不登校の理由も見当たりません

今となってはもうかなり昔の話ですが、私も理由なく小学校の頃年間を通じて30日以上休んだことがあります。ただ、定義では掲載されていませんが文部科学省が調査している項目には30日以上連続となっています

ただ、私の事を誰も不登校児だと思っていなかったはずです。月に3,4日休むだけの生徒を不登校児と思うでしょうか?理由なくと書きましたが、それは文部科学省の定義である病気や経済的な理由による者ではないからであって、理由はありました。「面倒だった・・・」

小学生ながらに夜更かしをしてしまい、朝起きるのが辛く風邪を引いたふりをして学校を休んでいたのです。今思えば単なる甘えであったのは事実ですが、私は文部科学省が定義した不登校児だった年があったという事になります。不登校の定義は一般的な解釈であって、問題はありますが30日以上休んだからと言って心配される不登校児の定義ではないと思います。

連続で休んでいる生徒の実態


文部科学省が公表している平成16年3月1日時点での30日以上連続して休んでいる児童生徒数

49,352人

だそうで教職員がこのうち会えていない児童数は13,902人で28.2%だそうです。会えない理由も掲載されており「生徒の心身上の理由」が66.1%。「保護者の拒否」により9.1%。「住居が不明や域外に住居など」が16.7%となっています。



不登校の定義は国や各都道府県、関係省庁がこのような数の実態を把握する為に作られたようなもので絶対的な不登校の定義という訳ではないはずです。1週間でも不登校の可能性もありますし定義とはそういうものという事を予め理解しておく必要があります。教師の個々の判断や裁量で不登校児とするかしないかを決めていてはどれだけの不登校児がいるのかまったく分からなくなりますのでわざわざ不登校の定義があるのだと思います。

不登校の定義の変遷


ものごとの定義づけというのは本来普遍的かつ不変的であるはずですが、しかし世の中の流れや傾向によって、しばしば定義づけが微妙に変化し、時代によって一意的な定義も、長い歴史の中で流動的に形を変えることがあります。たとえば、近年その問題の大きさが叫ばれて久しい「不登校」の定義に関しても、それが言えます。

現在では、不登校の定義の変遷がめまぐるしいため、明確に定義されていないというのが実際のところでしょう。ただ、これまで不登校の定義づけがなされていたこともあり、その名残のような形で現在多くの人が「不登校」ということばを違和感なくつかい、違和感なくその意味を咀嚼しています。それは一貫して「学校に行かなくなってしまう」という、微妙な定義づけの差異によらないニュアンスが「不登校」ということばに付随しているからです。

そもそも「学校に行かない」という意味でつかわれることばは、今も昔も変わらず「欠席」という用語があてられていますが、しかしなぜそれであるにもかかわらずわざわざ「不登校」ということばが必要とされることになったかというと、これはもちろん「欠席」とは別の「学校に行かない」という状況が顕著になってきたからです。すなわち、「欠席」というのは1日から数日の間「学校に行かない」ことを表す用語であり、基本的にはその理由がある程度はっきりしている場合につかわれます。これに対し「不登校」の場合は、その

理由がはっきりしていない場合が多い

ため、どの程度の期間学校に行かないのかが把握できないことが多いです。一般には「欠席」にくらべてかなりの長期間にわたることが多いと考えられます。このように、「欠席」との差別化をはかるための用語であるということになります。

不登校は、近年とみに問題視されるようになってきましたが、しかしこれは、学校教育の黎明期から起こっていた事象です。ただし、当時は経済的理由から学校に通えないケースも多く含まれていたために、近年のようなある種の病理現象としてとらえられることはほとんどなかったといいます。

おそらくこれから先もその形を少しずつ変えて、教育現場の深い問題として時代とともにあり続けると思いますが、しかし理想を言えば、いつの時代にか、この「不登校」ということばが完全に消えることが望まれます。そのためにも、今の時代にできることに対する努力を惜しまないという姿勢が、多くの大人に求められるはずです。


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